【映画『藁の楯』考察】何があっても法律を守ることは正義か?

30代後半公務員の転職

※この記事はネタバレを含みます。

鷹です。

30代後半でノンキャリ国家公務員(地方局)からノンキャリ国家公務員(本省)へ転職し、その後40代になって民間企業へ転職しました。

久しぶりに考えさせられる映画を見ました。

タイトルにも入れていますが、「藁の楯」。

「凶悪殺人犯を安全に東京まで護送せよ」

このような命令を受けた主人公(SP)が、任務か正義かで揺らぎ、苦悩する姿が描かれた映画です。

非現実的な設定なので、単なるフィクション、娯楽として受け止めることもできますが、これは普段の生活や仕事にもある、隠れた本質を突いている映画だと感じました。

映画「藁の楯」あらすじと考察

『藁の楯』は、幼女を殺害した凶悪犯・清丸を、福岡から東京まで新幹線などで護送するというSP(警護官)たちの物語です。

普通の警護任務と違うのは、清丸の命に10億円の懸賞金がかかっているという点。

それゆえ、周囲のすべての人間が“敵”になるかもしれないという状況下での護送劇。

その中で、正義か命令かで

正義のため? 法のため? 金のため?

この映画が秀逸なのは、すべての設定が極端に振り切れており、「こういう場合は仕方ないんじゃないか」という余白を一切認めない点です。

  • 清丸の命に10億円という巨額の懸賞金がかけられている
  • 単に、清丸を護送するというだけでなく、その護送は自分の命を懸けなければならないほどの危険が伴う
  • 清丸は、同情の余地が一切ない完全サイコパス(反省もなければ、隙を見て逃げようとする、まだ罪を犯そうとする)

という条件が揃っています。

法律的には、「裁判で有罪が確定するまでは無実」「逮捕された被疑者も人権がある」という考えになります。

しかしこの映画を観ていると、「何人もの命を奪った男を、なぜ命がけで守らなきゃならないのか?」と感じてしまいます。

任務を全うすることで命を落とす人々

映画の当初は、金に目がくらんだ人々がつきつぎと清丸に襲いかかり、「確かに10億円は巨額だけど、そんなに誰も彼もが人の命を狙うか?」と違和感を抱きました。

しかし、この人たちはやむを得ない借金苦(事業が厳しい、家族がリストラにあったなど)を抱えており、自分はどうなってもいいから家族だけは守りたい、そういう思いで清丸に襲いかかってきていたということが後半に明かされていきます。(単に金目当ての暴力団っぽい人たちもいますが)

彼らは本気で清丸を殺そうとしてくるので、それを守る警察官もSPも命がけの応戦です。

ひとり親をもつ警察官

銃撃戦で一人の警察官が命を落とします。

「清丸は俺達が命を懸けてでも守る価値があるのか?俺がいなくなったら母ちゃんが一人になってしまう…」

そう言って亡くなります。

清丸は「あのうるさい人、死んじゃったの?」と言って笑います。

家族を守るために清丸を殺そうとした一般市民

事業が傾き、借金でもうあとがないという状況。

家族だけは守りたい、そのためなら自分はどうなってもいい。凶悪殺人犯の清丸はもっとどうでもいい。

しかし清丸を殺すために小さい女の子を人質にとったため、一人の警察官がこの一般市民に銃口を向けます。

それを見た主人公は「ほっとけ。それは自分たちの仕事じゃない」といいます。

つまり、清丸さえ護送できれば、ほかはどうでもいいという思考回路になってしまっているのです。

しかしこの銃口を向けた警察官は「これをほうっておくくらいなら警察官なんてくそくらえだ」と言って一般市民の説得に当たります。

残念ながら説得は功を奏せず、射殺に至ってしまいました。

それを見た清丸は、射殺した警察官に対して親指を立てて「グー」のジェスチャーを見せます。

最後まで清丸を守り続けたSP

ずっと清丸を守ってきたのに、一人のSPが油断した隙に清丸に殺されます。

シングルマザーでした。

「あの子を残して死ねない…」

そう言って息を引き取ります。

主人公は清丸に対して「どうして殺した。ずっとお前を守ってきただろう」と問いただします。

その問に対する清丸の答えが「だってこの人おばさんくさいんだもん」

とにかく、清丸を守るために、清丸を守っていた人や関わった人が命を落としていくのです。

なんの罪もない。

そしてその人達にも守りたい家族がいる。

すべては凶悪殺人犯の清丸を守るために失われていくのです。

そして清丸はそれらの出来事に驚くでも悲しむでもなく、平然としている(むしろ楽しんでいる)のです。

みなさんにも問います。

それでも任務を全うすべきですか?

任務を全うすることは、本当に正義なのか?

この映画の主人公(警護官)は、法に基づいた“任務”を最後まで放棄しません。

もちろん、ただ一筋に任務を信じて全うしているわけでなく、周りからの意見、過去の悲しい出来事、自分の中の正義など、いろんな要素が絡まり、非常に葛藤します。

葛藤しながらも、やり遂げます。

しかし私は、その姿になんとも言えない感情を抱きました。

それはさっき述べたように、凶悪犯の清丸を守るために、なんの罪もない人の命を懸けるべきなのか?その答えが見いだせないからです。

任務を全うするということ、それは罪のない人たちの命を清丸の命と引き換えにすることと同じです。

投げかけられる疑問は、

「この殺人犯を守る価値があるのか?」ではありません。

「任務を全うするためには罪のない人の命を差し出すべきか」

です。

あなたは答えが出せますか?

金がからむと、正義は濁る

さらにさらにこの映画の面白いところは、善悪だけで話が終わらないところにあります。

「10億円の懸賞金」があることで、人の真意がわからなくなるのです。

  • 「正義」のように見える行動も、実は金目的かもしれない
  • 「怒り」に見える言動も、懸賞金への欲かもしれない

本来、「動機」は“正義の純度”を測る重要な要素ですが、金が絡むとその判断が非常に難しくなります。

実際、映画の中で「正義」を語る警察官もいます。

この警察官は、護送中、清丸の居場所を常に送り続けることで10億円が入ることになっているのです。

手首にマイクロチップを埋め込み、そのマイクロチップで居場所を発信していたために、当初は誰にも気が付かれなかったものの、途中主人公に見破られます。

そのときこの警察官は主人公に言います。

「清丸を生かした結果、また新たな被害者が出るかもしれない。そうなったときお前は遺族になんて説明するんだ」

実際、この時点で既に銃撃戦で警察官が亡くなり、一般市民が射殺されています。

清丸を生かした結果として他の命が既に失われている状況なのです。

しかしこの言葉を聞いた主人公は

「金の話が聞こえると、全部言い訳に聞こえる」

そう言うのです。

映画を通して突きつけられるもの

『藁の楯』は、ただのサスペンスアクションではありません。

観る者にこう問いかけてくる映画です。

  • 法律を守ることが正義なのか?
  • 自分の良心と、与えられた任務が矛盾したとき、どうするのか?
  • お金という“現実”が絡んだとき、人は正しく判断できるのか?

私は最後まで、答えは出せませんでした。

私たちは、何を基準に「正しさ」を選ぶのか

現実の世界でも、理不尽なルールや疑問の残る命令に直面することはあります。

とくに公務員や法律関係の職場にいる人にとっては、「ルールに従う」ことが“正義”のように語られがちです。

でも、ルールを守る=正義とは限らない。

この映画は、それをまざまざと見せつけてくれます。

そして同時に、「あなたならどうする?」という強烈な問いを突きつけてくるのです。

まとめ:思考停止せず、考え続けることが大事

結局、この映画は答えを出してくれません。

そもそも答えもないのだと思います。

正解は常に変わるということ常に正解があるとは限らないということ

公務員から脱却したときからまさに今、私が常に考え続けていることです。

非常に後味の悪い映画ではありますが、一方で非常に考えさせられる映画でもあります。

特に法律を守る仕事、法律に基づく仕事をする公務員の方には、ぜひ一度観てほしいと思います。

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